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南場会長との面談が「人生を変える30分になった――」トップMRが、DeNAに辿り着いた本当の理由。

佐々 祥子

DeNAヘルスケアで、ヘルスケアエンターテインメントアプリ「kencom(※)」のデータを活かした、新たなサービスの企画立案を手掛けている田中暁子。

2019年5月にジョインした彼女は、化学研究室出身ながら外資系製薬会社でトップセールスを誇るMR職に。さらに医療ビッグデータのコンサル営業を経て、DeNAヘルスケアに、というユニークなキャリアパスの持ち主です。

なぜDeNAを選んだのか?

「まず前職ではやれることに限界があったこと。そこにジレンマがありました。あとは南場さん(南場智子・会長)との面談。あれが私の人生を変えた30分になりましたね」

実はずっとブレていない、彼女の軌跡に迫りました。

※ kencom 健康保険組合の加入者の皆さんや健診機関の受診者など、団体を通してサービスを提供するBtoBtoC型のヘルスケアエンターテインメントアプリ。


1/21,700の確率でしか、創薬できない衝撃。


――製薬メーカーでトップの成績を残すMRだったと伺いました。

田中暁子(以下、田中): 大学院を出たあと、新卒で製薬会社のMRに。2年後には外資系に転職しましたが、どちらの会社でも成績上位にいさせてもらいました。もともと私がMRには珍しい「研究者出身」だったことが、よい成績につながったんだと思います。

――東京理科大で有機合成研究を専攻していたんですよね?

田中: はい。海洋産ポリエーテルという神経毒の化学合成を研究していました。だから「化学式が読める」珍しいMRでした(笑)。

知ってのとおり、医薬品を医療従事者にプロモーションするMR職は扱う製品の特性上「こんな言葉を使ってはいけない」「こんな営業手法を使ってはダメ」ときびしい規制があります。

裏をかえすと、あまりスタイルに個性を出しづらい。

しかし、私は化学の知見があるので、病院でくすりの添付文書にある化学式を指差しながら「この構造だから光線過敏が起こりにくいんです」「この化学式と骨格が近いから作用機序が近いんですよね」と、他のMRとはちがう角度で話ができた。

――そうか。化学式はファクトだから問題ないわけですね。

田中: ええ。それが先生方からもおもしろがられて。「きみ、おもしろいね。また来てよ」と声をかけてもらえやすかったんです。


田中 暁子

――なるほど(笑)。ところでなぜ化学の研究室を経て、MRに?

田中: もともとは子供の頃の夢だった「病気を治す新しいくすりが作りたい!」と思って理学部の道へ進みました。

幼い頃、祖母が大腸がんをわずらい、転移もあり亡くなったんですね。週に1度は幼稚園を休むほど、私は体が弱かったのですが、くすりを飲むと治った体験も相まって、「もっとすごいくすりがあれば、おばあちゃんのような病気の人も治るに違いない!」。そう考えて創薬をする研究者になろうと決めたんです。

しかし、就活をはじめてすぐに、ある製薬会社の説明会で「合成研究から新しいくすりが患者さんに届く形で製品化される確率は1/21,700だ」という衝撃的な話を聞いてしまい……。

――新しいくすりを…という夢が叶う可能性が極めて低かった。

田中: はい。尊い仕事だなと感じる一方で、私にはモチベーションが維持するのはムリだなと感じました。それならば、より多くの方にくすりを届けることになる営業職、MRを選ぼうと考えたわけです。


田中 暁子

▲ 大学院時代の恩師である東京理科大学 中田 忠教授(2013年当時)と。


――外資系時代は、事業所内で、ご自身の営業の手法を共有されることがあったそうですね。

田中: 当初は大学病院を担当しており、論文の紹介をきっかけに大学病院のKOL(key opinion leader)との面談を取得するという私のやり方が評価されました。

その後、結婚して子供が生まれ産休をあけてから開業医担当に変わったんですね。当時、外資系製薬企業では、日本市場へ参入し間もないこともあり、日本独自の文化である卸活動に注力する風土が根付いていなかったのですが、内資系での経験を活かし、あえてこれに力をいれたんです。卸活動を重視した営業という、外資系では珍しいスタイルでした。

大学病院はさきほどのサイエンスやエビデンスで判断して取引をしますが、開業医となると卸会社さんとのリレーションがとても重要なことを感じていました。だからここに時間を割いてでも面倒でも足繁く卸会社さんを回って営業をかけてつながりを得ました。「外資がうちにくるなんて」と珍しがられました。逆にいうと、それほど目立った。結果として販売に力を貸してくれて、ある卸先では前年度比で取引額が2倍以上になったところもありましたよ。

――MR職がとてもフィットしていた。なぜ、その後、2015年には異業種へ転職を?

田中: はい。製薬企業向けに医療ビッグデータのコンサルティングを請け負うベンチャーの営業職になりました。

MRを5年続けて、大学病院まで手掛けたところで、ある程度やりきった感もありました。担当する製品でしか病気治療に貢献できない限界も感じた。「もっと多くの患者さんに貢献できる仕事がしたい」と考えて、レセプトのビッグデータを解析して、各製薬会社の製品価値の最大化を後押しするその会社に飛び込んだんです。ただ……、そこでは自分の「デキなさ」を痛感しちゃいましたね。


「そこまで」しかできないジレンマがあった。


――トップMRだったのに、転職先では苦労した?

田中: 先に言ったようにMR職はプロモーションの手段に制限があります。それだけにプロモーションツールやマニュアルができあがっていて、「この通りにやれば成果が出る」ことが約束されている面があるんですね。

タブレット上の営業ツールなど何からなにまで会社から用意されていたので、エクセルもパワーポイントも使ったことがないほどでした。

――ところが、異業種では全く違ったと。

田中: ええ。「こういうデータをとってほしい」というクライアントにヒアリングし、「要件定義書」をつくるところから仕事がはじまる。それをエクセルとパワーポイントでイチから自分でつくる必要がありました。ヒアリングはできても、資料がひどいデキで。

――「外資系のトップMRだったのに、このプレゼン資料?」と。

田中: あきれられましたね(笑)。ただこうしたツールは「量をこなすことでしか質は磨かれない」と考えて、とにかく作り続けました。先輩からの細かなフィードバックに心おれながらもしがみついて対応を。同時に、現場の仕事を理解していないとプレゼンも中途半端になるので、データ解析の部隊にも何度もヒアリングをして、どのようにデータクレンジングなどをするものなのかをしつこく聞いたり。


田中 暁子

――結果、その会社でも大きな成果をあげたそうですね。

田中: ちょっとずつですけどね。最初は大口クライアントは任せられず、中小のクライアントで、しかも新規のものばかりを預けられていた。ただ自分のプレゼンがなんとなく磨かれてくると、しっかり結果がついてきました。

新規の取引が増え始め、中小にも関わらず大きな案件がとれるようになった。最終的にはその製薬会社のすべての分析データを引き受けるような取引先が5~6社になり、案件数は月20件を超えました。

――すごい。そうして会社の業績もあがり、その後、上場も果たすわけですが、転職しDeNAにジョインしました。そもそもなぜ転職しようと?

田中: ジレンマがあったんです。データ調査の仕事が製薬の大きな力になることはもちろん理解していますが、仕事のゴールがデータ解析やそれを論文にしたもので「エビデンスをつくる」ことまで。本来は、この解析結果から「一般の生活者や対象の患者さんが解決すべき課題」がクリアになっているわけです。

――「この化合物はこうした病理に効果がある」というのがわかるわけですよね。とても価値がある仕事にも思えます。

田中: ただ課題が目の前に現れたのに、そのソリューションには踏み込めてないわけですよ。そこにもどかしさを感じるようになっていました。

「生活者一人ひとりの健康や行動を直接変えられるような、もっと踏み込んだ仕事に携わりたい」と考えるようになりました。転職コンサルに相談すると、DeNAを進められたんです。

――競合他社もあったと思うのですが、なぜDeNAに?

田中: もうひとつ悩んでいた会社よりも圧倒的にスピード感があったこと。「今すぐにでも来てほしいし、新たな事業領域も広げようと考えいる」と、DeNAが目指すところはクリアでした。保険者データを健康につなげるためのサービスである『kencom』が広範囲に利用されていて、エビデンスを生活者にフィードバックするルートがすでにあることも大きかった。

あと……決め手になったのは、南場さんとの面談でしたね。

飛び出したから気づけた「自らの価値」

――最終意思決定の直前に「やはり考え直したい」とおっしゃったそうですね。

田中: 実は一度、お断りしました。DeNAの話を聞けば聞くほど、生活者に向けたサービスを創り上げることの魅力に興味はひかれたのですが、一方で「やはりこれは大変な事業だな」という思いも感じていました。

加えて、最もネックになったのは、多くのクライアントのプロジェクトが動いているのにそれを投げ出して転職する「罪悪感」でした。「あと2~3年、知見をためて、しっかりとプロジェクトも引き継いでから転職したほうが誠実なのでは」と感じたのです。


田中 暁子

――その躊躇が、南場さんとの面談でガラリと…。

田中: 変わりましたね。もう「断る予定」と伝えていたのですが、南場さんとの面談の機会をもらえることになり、一度、ゼロからDeNAを起ち上げて育ててきた南場さんという人の話を聞いてみたいと会ってみた。そこで正直に「今のクライアントを投げ出せない」と話したのです。

すると南場さんに、マッキンゼーを辞めたときの話を自然体でされて……。「誠心誠意仕事をしていたら、言葉は必ず伝わる」「自分もマッキンゼーをやめるときはそうだった」また「DeNAを築いてからも何度も何度も大変な局面があったが、かつての顧客の方々がむしろ助けてくれた」「新しいことに挑戦しましょう!」って。

寄り添って自分の経験を等身大に話す姿がまず印象的で。しかし、プロフェッショナルの矜持と、挑戦への後押しも自然に入っていた、「やっぱりココで働きたい」と強く押された気がしたんです。30分弱でしたが、私にとっては「人生を変えた30分」でしたね。

――そして2019年5月に、DeNAヘルスケアに。入ってみて会社の印象はいかがでした?

田中: これまではクライアントや案件ありきの仕事だったのが、ゼロから新しいサービスを創り出す仕事なので、すべてが新鮮ですね。まさに、やりたかった「課題に踏み込める」状態なのがまずうれしい。今はkencomのデータをもとに製薬業界をはじめ多くの企業と有効に活用して、より多くの方々に健康に寄与するためのソリューション開発が仕事ですからね。

戸惑い、難しい局面も、やっぱり本当に多いのですが(笑)。ただ、自分ができないことが明確になったということは超えるべき課題が見えたということでもあるので。伸びる機会だと考えています。裏返すと、いまいる場所で「なんでもできちゃうな」と思っていたら危機感をもったほうがいいと思っているタイプなので。

少なくとも、かつてのジレンマはないですね。

――社風はマッチしました?

田中: DeNAは素直な人がとても多いと感じています。これまでは、規制産業出身の方が多かったので、議論をしていても「それはムリだよ」「意味がないよ」と否定されることも多かったけど(笑)。

けれど、ココでは「え、どういうこと?」「ちょっと考えてみよう」「なんとかできないかな」と、どんな議論になっても、前向きに進んでいく。素直に聞き入れて、「どうやったらできるか」を考える風土が根付いているなと。

――では、今後どんな方にジョインしてほしいですか?

田中: 知的好奇心が高くて、課題解決を可視化することが「気持ちいい!」と感じるようなタイプですかね。あとはやっぱり素直な人、かな(笑)。


田中 暁子

<プロフィール>

田中 暁子(たなか あきこ)
DeSCヘルスケア事業開発部アライアンスグループ

千葉県出身。幼少期に祖母を癌で亡くした経験から、創薬研究に携わりたいという思いで有機合成化学を専攻できる東京理科大学大学院へ進学。新薬の創出確率の低さに直面し、研究ではなくMR職として大手製薬会社へ入社。大学病院を経験するため外資系製薬会社へ転職後、より医薬品市場全体に対する仕事に携わりたいと考え、医療ビックデータの分析・ソリューションを提供する企業へ転職。製薬企業向け医療ビッグデータのコンサルティング営業を経験したのち、創出されたエビデンスを一般の生活者が取り入れられるサービスとして提供したいという思いで現職へ。


執筆:箱田 高樹 編集:八島 朱里 撮影:小堀 将生
※本記事掲載の情報は、公開日時点のものです。